【エピソード 0.75】すべてがはじまる前の話・A

9/18/2023

Episode 0.75

t f B! P L

 


エミリア・リードは戦姫ヘレネ歴四〇二年から四一八年まで、サンセコイアで私塾を開いていた。


そこに至るまでの道のりを、まず手はじめに振り返ろう。エミリアは三九一年に教員資格をとり、翌年からブライトチェスター郊外の公立の小学校で教えることになった。だが、まもなく自身の属する環境に限界を感じた。


当時の彼女のクラスには、夢想家の子ども、教室をとびだしていってしまう子ども、授業のものたりなさを激烈に訴えてエミリアと闘おうとする子ども、一日じゅう金魚の水槽に張りついてひと言も話さない子どもなど、多彩な顔ぶれがそろっていた。


こういったタイプの子どもたちは、エミリアをつよく惹きつけた。このはみだしがちな魂を木枠に押し込めて成形し、いっぱしのおとなに仕立てあげることに、彼女は批判的だった。


十年にわたって学校で教えながら道を模索したのち、彼女はついに舵をきり、教員をやめた。四〇一年の春のことだ。


準備期間は一年だった。


四〇二年の初春、エミリアはサンセコイアにあった古い孤児院の一角を借りて、はみだし者の子どもたちのための教室を開いた。これがエミリア最初の私塾で、彼女はここを【ベルガモット・ルーフ】と名づけた。花言葉に由来するといわれている。


三人の子どもとともにはじまったベルガモット・ルーフが、十人になり、最盛期には十八人になった。どうしても文字を覚えられない九歳児から、学校のトイレを嫌がる六歳児、エネルギーを持てあましたティーン・エイジャーまで、さまざまな子どもがルーフを訪れた。


子どもたちはエミリアのもとで学んだり、だべったり、遊んだり、何もしなかったりした。ここでも、エミリアと闘おうとする子どもは一定数いた。やがて子どもたちは、苦闘のはてに自分なりの立ち方を身につけていった。


四一八年にベルガモット・ルーフが閉校になった直接の理由は、間借りしていた孤児院が借金苦で閉鎖されたことにある。


エミリアは新しい私塾をいちから作るため、サンセコイアを離れた。この頃の彼女は、走り続けてきたために燃えつきつつあり、新天地を探すことは彼女の肉体と精神を再生させるうえで重要な意味を持っていた。何人かの子どもは、エミリアについていった。


とはいえ、ベルガモット・ルーフの最末期である四一六年から四一八年は、充実の時代だった。この時期にルーフを訪れた子どもたちはとりわけ独創的で、情緒的に込み入っていて、問題のある家庭に育ち、よく注意を払わなければならないタイプの子が多かった。その子どもたちが、子どもらしい知恵と敏捷さとユニークさを爆発させて、麻のように伸びていった。


ハンナ・ミナキも、そんな子どものひとりだった。



My Poses
Thanks to all CC creators!!

このブログを検索

QooQ